偏屈親父の修理屋雑記2



    ★偏屈親父の修理屋雑記2  オモロイよ! 


 偏屈親父が商売柄体験した修理に関する面白い話やこぼれ話などを紹介しよう。



★新撰組のお姫様! (04 7月16日アップ)
今回はバイク屋とは関係の無い話だよ。
大河ドラマ「新撰組」を見ていて子供のころの記憶が甦ってきた。その頃(50年近く前)偏屈親父は京都市内の真ん中あたりにに住んでいた。軽四がぎりぎり通れそうなカギ型になった路地(京都ではロージと言う)のカドッコにすんでいた。そのカドッコの反対側に新撰組のお姫様が住んでいた。その当時は子供だったのでどういう意味かわからなかったが、ただただ「新撰組のお姫様」とだけ聞かされていた。相当な お歳(90歳以上だったと記憶している)だったので家にこもりっきりで お顔は思い出せない。その家のおばちゃんは小学校の先生で、子供は偏屈親父の通っていた高校の先輩だった。ただなんとなく上品な家柄であった。壬生狂言士の親戚がいたらしいことを思い出した。
今にして思えば、「新撰組のお姫様」は新撰組が住居としていた八木家のご令嬢で、偏屈親父の向かいの家へ嫁いでこられたのだろう。と言うより、嫁ぎ先の家が向かいへ引越ししてきて、その後偏屈親父の親父が引越ししてきたのが正解。
大河ドラマで言えば、「新撰組のお姫様」は吹石一恵 演じるところの 八木ひで だったのだ。しかしそうすると年齢が少し会わない。そこで調べてみると八木家には6人のご令嬢がいたらしい。その当時末娘で五、六歳とすれば偏屈親父がご幼少の頃、お姫様は九十七八歳。これなら多少のずれがあるとしたら計算があう。
偏屈親父の50年。世間はそれほど変わったとは思えない、バイクなど50年前と基本的構造は何も変わっていない。しかし歴史の一ページとして語られる「新撰組」近藤 勇や土方歳三 沖田総司を実際に目にし、明治維新や沢山の戦争や価値観の変革を経験し、「新撰組のお姫様」はどんな人生を歩まれたのだろう。
     人の数だけ人生がある。「人生色々」そうですよね、小泉首相



★お前は裏技集を読んでないのか! (03 2月20日アップ)
ある日の事、偏屈長男が友人からバリウスの修理を依頼され乗って帰ってきた。開口一番「友人がエンジン潰れたかもわからへん言うてる。全然トルクがあらへん」
早速見てみると何の事はない一番シリンダーがミスしている。188ccの3気筒エンジンで62ccのコンプレッサーを回しながら、京都駅の近くから30分かけて走ってきたんだ。日頃はジェベルの200ccに乗っているので、他種のバイクは判らないとは言え、バイク屋の息子が片肺に気付かないとは何たるざま。ちょっとマフラーに触れてみればすぐにわかることだ。それと、片肺をあっという間に治す方法が、かの有名なホームページ
「偏屈親父のバイク屋へようこそ」の裏技集に書いてある。ちょっと目を通していれば調子の悪いバイクで30分もかけて乗ってこなくても道端で簡単に修理できたのに。
「お前は親父のホームページも見てへんのか」と言ったら、「僕のホームページ(現在は閉鎖)は見てんのか」ときた。「え? いえ あの その 時々」
取敢えず裏技集の方法で5分で完了。近いうちにプラグは新品にした方がいいだろうが、暫くはこれで大丈夫。
とまあ、これだけの話ですが、バイク屋に限らずその道に長く従事している人達は、伊藤家の食卓でも紹介されないような裏技を一杯持っているもんだよ。

教訓「人生の先輩はあだやおろそかにしてはいけない」



★ミイラ取りがミイラにならずに (8月23日アップ)
つい先日の事、偏屈親父は客のいないでカウンターでメモ止め上手2号の針の調整をしていた。
(メモ止め上手はこちらを参照)
そこへ防犯システムの訪問販売員登場。まずは偏屈親父自作のゲストセンサーのブザー音にビックリ。
「私、防犯ブザーを販売しています。しかしもう付けておられるのですね」パンフレットを差し出しながら言う。
偏屈親父「そう、自分で作ったのがあるので今は必要ない」顔も上げずに針の調整をしながら言う。
販売員、話の糸口を見つけたかったのだろう、偏屈親父の手元見て「失礼ですが、何を作ったはるんですか?」 この一言を聞いた途端に、偏屈親父の態度は豹変。
顔を上げるなり「これは今までにない紙を節約する発明品でメモ止め上手という。紙をこんなふうにして…
(メモ止め上手はこちらを参照)…こんなふうにすると、紙も節約できて、しかも使いやすい」
販売員「これは凄い発明やないですか、もっと他にも色々発明してはるんですか?」
この一言が販売員に悲劇をもたらすのであった。
「これが東大阪のアイデアコンペの最優秀賞の楯、これが発明将軍に出たときのダウンタウンのサイン、これがビデオ片付け上手、これが待機電力……などなど、ついにはおもてにまで引っ張り出されて、ちり取り上手の実演、次は裏の手洗い場で節水上手の実演と、その間約30分。
(偏屈親父の店で発明の話は絶対にしないこと)
しかし販売員は嫌な顔をせず、一つ一つにうなずいたり、納得したり感心したり。
一区切り付いたところで販売員「いやー凄い発明を見せていただいて、防犯ブザーの売り込みも忘れてしまいました。とりわけメモ止め上手が一番良いですね。わけてもらえるのがあれば一つ分けてもらえませんか?」
偏屈親父「まだ試作品で、材料費と手間賃で¥300になる。それでも良い?」「それで結構です」と言うので偏屈親父は飛び切り出来の良い奴を渡して「ミイラ取りがミイラになったみたいやね」と言った。
販売員は懐から一万円札をだした。偏屈親父「困ったな、つり銭がないんやけど、細かいのない?」「これしか持ち合わせないんですよ」
偏屈親父暫く考えて「これだけ褒めてくれたんやし、もう代金はいいよ。ただで上げる」販売員「いやただで貰うなんて事は…。そうですかそれでは遠慮なく、他の人にも宣伝しときます」とメモ止め上手をもってそそくさと店を出て行った。偏屈親父は自分の発明品を褒めてもらって、ウキウキニヤニヤ。
暫くして外から帰ってきた嫁さんにその事を話すと「アホやな、営業で外回りする人が、一万円札しか持ってないてなことあらへん、うまいこと煽てられて、ただで上げてしもたんやんか」
そんなことは決して無いと思いたいけど、冷静になって考えれば思い当たることがニ三有った。
しかしあの販売員、煽てるだけ煽上げる、営業のコツを心得た奴やった。
ミイラ取りがミイラにならずに、メモ止め上手を持って帰ったという話でした。


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